エンコルピオのブログ

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私的3大ドラマー BILL・BRUFORD編

先日、ブログでアランホールズワースの出会いについて書いた中で、ビルブルフォードについて少しふれた。


私にとってビルブルフォードは5大プログレバンドの3つに関わったドラマーで、長年フォローしてきた。


まずはイエスのオリジナルメンバーとして、1stアルバム(1969)から「危機」(1972)の5枚のアルバムとライブ盤の「イエスソングス」(1973)で2曲参加している。


イエス脱退後参加したのがキングクリムゾンだ。
クリムゾンは4thアルバム「アイランズ」発表後、Pシンフィールドが解雇され、それまでの抒情的でありながらジャズ的なサウンドを導入したコンセプトの終結とともに解散状態だった。
そしてリーダーロバートフィリップ(ギター)はブルフォード、Jウエットン(ベース・ボーカル)、Jミューア(パーカッション)、Dクロス(バイオリン・キーボード)らでクリムゾンを再結成し、パーカッションやより即興演奏を重視したハードなサウンドに変化した。
「太陽と戦慄」(1973)「暗黒の世界」(1974)「レッド」(1974)の3連作は、クリムゾンの歴史の中でも最高潮の一つだったと思っている。


ライブ「USA」(1975)発表後クリムゾンは解散する。


その後ジェネシスのツアーメンバーとなり、ライブ「幻惑のスーパーライブ」(1977)で数曲プレイしている。
また、ナショナルヘルスでのセッション活動の延長からソロアルバム「フィールズ・グッド・トゥ・ミー」(1977)を発表した。
元々ジャズの影響の強いブルフォードのサウンドはジャズロックに傾倒していく。


その後はホールズワース編でも書いた通りスーパーグループ「UK」の結成に参加するが、1stアルバム発表後方向性の相違から脱退する。


脱退後、ホールズワース(ギター)、Dスチュワート(キーボード・元ナショナルヘルス)、Jバーリン(ベース)らで「ブルフォード」を結成。
「ワン・オブ・ア・カインド」(1979)発表後ホールズワースは脱退。


ギターにJクラークが参加し、ライブ「ブルフォードテープス」(1979)「トルネード」(1980)を発表するが、クリムゾン再結成のため、バンドは解散。


続きはまたの機会に。