エンコルピオのブログ

日々のあれこれと趣味のことを徒然なるままに記す

「セクシー田中さん」のドラマを見て

私は普段余りテレビドラマを見ない。
過去の経験から映画の方が優れた作品が多いと実感しているからだ。
そちらに時間を取られるので、必然的にテレビドラマを見る時間は少ない。
もちろん過去に山田太一、向田邦子他の脚本のテレビドラマに感動したことは多くある。
去年山田太一が逝去されたのでこのブログでもいつか書こうかなと思っている。


そんな私が実は去年日テレのドラマ「セクシー田中さん」を見ていた。
なぜ見始めたのか強い動機はないのだが、普段脇役の木南晴夏(パン好きで玉木宏の奥さんくらいの認識)が昼間は会社の経理課で地味なOLで夜はベリーダンスのダンサーという極端な2面性を持ったヒロインを演じるという点が興味をそそられた。
彼女のベリーダンサーの衣装を着た宣伝スチール写真が、ちょっと役者としての意気込みを感じた。
まあ、1回目を見てテイストが合わなければやめればいいくらいの感じだった。


このドラマの基本は若い男女の恋愛の行方(めるるが演じる若いOLをめぐる2人の男と木南演じる田中さんをめぐる2人の男)を本筋の一つとして展開する。


ただこのドラマのユニークなのは若いOLあかりが可愛いからとちやほやされるにも拘らず自分の核となるものが見いだせない状況に不満と焦りを感じている設定がおもしろい。
その状況下で普段のOL生活では地味だがきっちり仕事をこなしている田中さんが夜はベリーダンサーとして妖艶な魅力を発揮していることに憧れを抱く。
もちろん田中さんの夜の顔は会社では知られていない顔なので、バレた時に多くの波紋を呼ぶことになる。
副業禁止の会社だとしたら、処分の対象になるかもしれない。
ただドラマでは地味な田中さんの意外な一面を面白おかしく揶揄する職場の者たち(いい年してよくやるなという感じ)に対して、田中さんのベリーダンスに対する真摯な取り組み方に憧れる(自分の核となるものを探す彼女にとって大いなるヒントであり勇気ずけられるロールモデルなのかもしれない)あかりはその偏見に対し抗議し魅力をアピールする。


この真摯な訴えはこのドラマを通じて一貫して表面的な先入観や古い価値観で縛られた世界から個性的でありながら(人は皆異なる環境で生きてきたのだから当たり前なのだが、我が国ではどうも同調圧力の傾向が強い。)様々な人間と出会い関わりながら自分の成長を求める現代のドラマとして興味深く見た。


しかも主たる登場人物の考えや家族、恋愛遍歴が織り込まれ必ずしも深刻なタッチではなくコミカルなタッチで展開した。


そして恋の行方も決して決着するようなエンディングではなく、田中さんもあかりも自分探しをする過程でこのドラマは終了する。


このエンデイングは正直意外だった。
それでもこのドラマが近い将来続編やスペシャル版で新たな展開があるのかなとも思った。


ただ気になったのは最終回とその前の回の物語が異なるテイストだったなと思ったことだ。
田中さんはずっと好きだったベリーダンスを踊る店のマスターのアプローチを断り、ベリーダンサーの道を究めるべくLAで教えるダンサーの元へいつの間にか行ったことになるし、あかりもメーキャップの仕事に生きがいを見出して付き合っていた彼の求婚を受け入れていなかった。それが2年後あかりの友人の結婚式で判明するという結末だったのだ。
更に追加すると年上の田中さんに好意をもちつつも、現実の結婚の相手として想定できないまま病気の母親を安心させるために見合いし付き合っていた商社マンが見合い相手(母親のような優しい女性)を断り、田中さんのダンスの舞台に行くのだが彼女はLAへ行き決意を固めた後で、男も告白したわけではない。


このドラマで登場人物たち(特に女性2人)は自分の生きがいを自ら見つけ探求しようとしている。
それに比べると男性陣はそんな彼女たちに振り回されている存在として(現実の世界ではそれを選択するような男ばかりとは思わないが)女性に都合よく描かれている印象もあった。


それでも女性の目線から描かれた多くの指摘は自らを省みる多くのヒントを与えてくれた。


ただ問題はドラマ終了後、最後の2話に対して違和感を感じた人も多かったようで、脚本家がSNSで最後の2回は自分で書いたものではないことを原作者のこだわりに触れることなく公表したことから、原作者も原作のこだわりが日テレの制作側に十分伝わっていないこと(あるいは改変されている)から、最後の2話は原作者自身が脚本を書いたことの経緯や心情を公表した。


この公表を受けて多くの原作者のファンが脚本家、日テレ制作サイドに避難のコメントが発せられ所謂炎上となった。
ただ個人的には年末からの原作者、脚本家、SNSの騒動は知らなかった。


この後原作者は行方不明となり日光市内で死体となって発見された。
いきなりTVニュースで報道され驚いた。
余りにも悲しい出来事である。


この背景にはコミックの販売部数を増やすために効果的な出版社サイドの思惑と日テレの制作サイドの利害も一致した大人の話が先行したことも推察できる。
ただ原作がまだ終了していない段階でテレビドラマ化したことはどうにも無謀な気がする。
テレビのスケジュールや尺の難しいメデイアで、原作者の意図を表現することは難しかったのではないかと思う。
それでも原作者の逝去について日テレの自己保身的なコメントも見苦しかった。


SNSでの炎上が原作者をどれだけ心理的に追い詰めたのかはわからない。
ただ原作者のコメントが「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とは重い言葉だ。
原作者の冥福をお祈りいたします