エンコルピオのブログ

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プログレ5大バンドあれこれ GENESIS編 PART2

ジェネシスは、1969年1stアルバム「創世記」を発表、1970年2ndアルバム「侵入」を発表する。
前者はトラディショナルなフォークサウンドという感じで、後のジェネシスのサウンドとは大きく異なるもので、後者で現在のサウンドに共通するものに変質した。


1971年3rdアルバム「怪奇骨董音楽箱」でギターにスティーブハケット、ドラムにフィルコリンズが加入し、変幻自在なギターサウンドと手数の多いドラミングで一気にバージョンアップした。
しかもボーカルでアルバムコンセプトを握るリーダー、ピーターガブリエルのシアトリカルなパフォーマンスで、バンドは特にヨーロッパで人気を得る。
この当時のアルバムは1972年「フォックストロット」、1973年「月影の騎士」「ライブ」、1974年「幻惑のブロードウエイ」が発表され、先日ブログに書いたSハケットの来日公演では月影の騎士のアルバム全曲が再現されている。


1975年幻惑のブロードウエイ・ツアー(見たかったなあ)後、Pガブリエルが脱退。
ジェネシスは存続の危機を迎えるが、ドラムでコーラスも担当していた(ソロボーカル曲も稀にあったが)Pコリンズがリードボーカルを兼任。


Pガブリエルという要のいなくなった4人体制で再スタート。
1976年「トリックオブザテイル」「静寂の嵐」1977年「幻惑のスーパーライブ」を発表。
サウンドはよりドラムと分厚いキーボードのサウンドが強調された変化していく。
この頃はPコリンズがボーカルのときやツインドラムの妙味を発揮するときのために、BブルフォードやCトンプソンが参加しており、幻惑のスーパーライブで聞くことが出来る。
ただこのアルバムを最後にギターのSハケットが脱退する。


ちなみにSハケットは昨年の来日公演で幻惑のスーパーライブの曲も月影の騎士と重複しないように全曲再現している。


Sハケットが抜けて3人となった体制で製作されたのが1978年「そして3人が残った」というユーモアというか開き直ったタイトルのアルバムを発表する。
ちなみにこのタイトルはアガサクリスティの「そして誰もいなくなった」をもじったそうです。
このアルバムで1曲の長さを短くして、ポップな傾向に舵をきったものと言われていますが、今聞くと結構プログレ的なサウンドが残っています。


そしてこの年、初来日し私は中野サンプラザでライブを見たのでした。
「イレブンス・アール・オブ・マー」(「静寂の嵐」から)で幕開けした怒涛のライブパフォーマンスに感動の嵐でした。
私にとって生まれて最初の洋楽のライブ体験で今でもその感動が蘇ってきます。


Pコリンズはショーマンシップ旺盛でタンバリンを体のあちこちで叩く芸当を見せて、観客の声援を受けていました。
Pコリンズはその後のジェネシスのメジャー化やソロ活動は知られたところですが、ドラマーとしても一流でブランドXでの活動も素晴らしかった。
車いすでの去年のパフォーマンスを見ると隔世の感を禁じえません。
彼の息子がドラムを担当してそれはそれで素晴らしいコンサートでしたが。


とりあえず今回はこの辺で・・・。