エンコルピオのブログ

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私的3大ドラマー JOHN・BONHAM編

私的3大ドラマーで最後に紹介するのは、ジョン・ボーナムだ。
誰?と聞く人はロックのモグリと言える。


泣く子も黙る?レッド・ツエッペリンのドラマーで、彼の死がイコール、レッド・ツエッペリンの解散になったほどの存在だ。


逆に言うと、レッド・ツエッペリンの成立と衝撃の大きさは彼のドラムゆえとまで言える。


1969年末ジェフベックグループのアイデアであるブルースを基調にしながら、より自由にLoudで強烈なハードロックを目指したヤードバーズの同僚でライバルのジミー・ペイジは、ロバート・プラントとジョン・ボーナムの二人との出会いで異次元のロックを創造する。


レッド・ツエッペリンの1stアルバムの衝撃は、1曲目「グッドタイムス、バッドタイムス」の重いバスドラとパーカッシブな音の軽妙さの上にかっこいいギターリフとボーカルから始まる、2分47秒の衝撃。
ワンバスドラでありながら早いフットワークとグルーブ感が耳に焼き付く。


レッド・ツエッペリンの初来日は1971年、翌年も来日公演をした。
当時私は小学生でレッド・ツエッペリンの名前すら知らない。
それ以降はレッド・ツエッペリンとしては来日していない。


1976年「プレゼンス」を発表。
輸入盤屋(お茶の水のディスクユニオンあたりかな?)で購入。ここらでリアルタイムでレッド・ツエッペリンにはまる。
オープニングナンバー「アキレス最後の戦い」はいきなりアルバムのハイライトというテンションの高さで、このアルバムはギター、ベース、ドラムというシンプルな構成でキーボードを使用していない。


その後レッド・ツエッペリンの過去にリリースされたアルバムを買い求めていき、沼にどっぷりつかる。
しかし1980年9月25日Jボーナム急死。32歳。


ちなみに1996年2月レッド・ツエッペリン解散後、ペイジ&プラントが来日し、武道館の公演に行きました。
その頃は社会人になっていた。近くの席に後輩が見に来ていたのはビックリした。
ゼップのフロントであるペイジ&プラントの奏でるナンバーをリアルで聞く体験は、感涙モノではあったのですが、残念ながらそこにはボンゾのドラムはありませんでした。