エンコルピオのブログ

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私的3大ドラマー PHIL・COLLINS篇

先日ユーミンのラジオを聞いていたら、自分の楽曲「SWEET DREAMS」を紹介する時にイントロのドラムの入り方がフィル・コリンズを意識したものであることをさりげなく語った。
その楽曲が入ったアルバム「ダイヤモンドダストが消えぬまに」は1987年発表で、1980年代の洋楽の世界ではPコリンズがソロでもバンド(ジェネシス)でも一世を風靡していた。


ブリティッシュロック好きで流行りの音楽のチェックを欠かさないユーミンのことだからなるほどなと思いつつ、懐かしくも思った。


ただドラマーとしてのPコリンズの魅力を語る上で欠かせないのが、「ブランドX」の活動だ。


1975年、Pガブリエル脱退後のジェネシスのリードボーカルを受け持ったのがドラム担当でもあったPコリンズだった。


ただジェネシスの楽曲は、演奏の難度が高く、表現力が求められるボーカルとドラムをライブで兼務することはかなりハードルが高かったこともあり、BブルフォードやCトンプソンをドラム担当のツアーメンバーとしてライブ活動をこなしていた。


しかし、ドラマーとしての探求心を満たすことはできなかったようで、ジョン・グッドソール(ギター)、パーシー・ジョーンズ(ベース)、ロビン・ラムレイ(キーボード)らのセッションに参加して最終的にバンドのドラム担当の座を占めた。


1976年、ブランドXの1stアルバム「異常行為」が発表された。
ここでのタイトなリズム隊に縦横無尽に動き回るベース、キーボード、エッジの効いた速弾きギターを盛り込んだ演奏は、当時のブリティッシュジャズロックの最高峰の一角だったことは間違いない。


1977年、ブランドXの2ndアルバム「モロッカン・ロール」を発表するが、ギターのSハケットが抜けて3人体制になったジェネシスの活動が繁忙になり、1978年リリースの3rdアルバム「マスクス」には不参加。
この年は日本にも来日公演していたのだから、後のワークホリックな萌芽が出始めているね。


1979年の4thアルバム「プロダクト」では復帰するが、ブランドX内部での方向性の違いから2つのチームに分裂した形で制作された(Jグッドソールは両チームを兼務)。
その後同様な形の制作スタイルで1980年、5thアルバム「ドウ・ゼイ・ハート?」を発表し、同年活動を休止する。
ちなみに1982年、6thアルバム「イズ・ゼア・エニシング・アバウト?」がリリースされるが、これはアウトテイク集だそうだ。


1980年一方、ジェネシスは3人体制(レコーデイング)で、力作「デユーク」を発表。
ここでのPコリンズの比重はさらに重くなり、アルバムコンセプトと難度の高い楽曲を鍛えたテクニックが十二分に発揮されたものとなっている。


そしてジェネシスとして、ソロ活動として充実の1980年代を迎えることになる。
更にプロデュース業やゲスト参加とワークホリックも最高潮に・・・。


続きはまたの機会に。