エンコルピオのブログ

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誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜を見て

 先日ETVで「誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜」を見た。


今更ながら大阪空港訴訟の最高裁判決(1981年)の裏話かと思いつつ、学生だった当時学んだ最高裁判例の中で住民サイドに立った反対意見を開陳した(当時なかなかこのようなスタンスの反対意見は稀だった)団藤判事は人権重視の本来あるべき司法の砦の象徴的存在のように思えた。


その団藤判事が生前書き残したノートが公表され、当時の最高裁と訴訟当事者(特に国側)のインサイドストーリーが明らかになったことは歴史的にも重要かつ珍しいことと思い興味深く視聴した。


かいつまんでこの訴訟を書くと、1969年大阪空港(いわゆる伊丹空港ですね)周辺の住民らが航空機の騒音や振動などで身体的・精神的苦痛を受け、かつ受けているとして、国に夜9時から翌朝7時までの飛行停止を求めて提訴。


1975年(昭和50年)2審の大阪高裁は差し止めを認め、国はその判決を受け夜9時から翌朝7時までの飛行した(やればできるじゃないか)。
ところが国は、敗訴を受け入れず最高裁に上告し、あの手この手を陰に陽に使って最高裁大法廷を住民の差し止め請求を不適法として却下させる。


本番組では注目すべきポイントが3つあった。


第1に当時の国側(運輸省)担当者の今回のノートの公表に対する感想に驚く。
彼によれば裁判の結果が最終的なものでこのようなインサイドストーリーが公表されることは不適当だというのだ。


外交文書でさえ30年経てば公開される時代だというのにこの情報公開時代に対して時代錯誤な認識はあきれる。


なぜこのような結論(判決)に至ったのかを知ることは、民主主義国家における司法の在り方や状況の真実を知る権利を実現することではないか?
臭いものに蓋のようなコメントは、自分の過去の行為が歴史的にやましいと感じることの顕れではないかとも思える。


次に控訴審の後、国の上告が当初の審理を担当した最高裁第1小法廷(団藤判事もそのメンバー)から、なぜ大法廷に変更されたのかという謎だ。
そもそも小法廷から大法廷に変更するには高いハードル(法令や規則)がある。
適用する法令が違憲かどうか検討する時が典型で、この訴訟には該当しない。
今回は係属した小法廷のイニシアチブで大法廷に変更する場合に該当する。


第1小法廷は控訴審判決を容認する結論で一旦固めながら、国(この場合運輸大臣)に和解することを勧める。
つまりこの和解の勧めは判決では国が敗訴する可能性が高いことを遠回しに示唆している。
この状況に憂慮した国側はあの手この手を陰に陽に使い始める。


今まで表に出たのは当時の最高裁長官岡原昌男が第1小法廷の岸上裁判長に大法廷回付を勧めたことである。
岡原は戦前から公安検察としてかつ法務省の刑事局長として国の代理人の立場が長いことから空港行政の停滞に危機感を共有していたのだろう。
岡原は国の小法廷から大法廷に変更する上申書の提出を知らないかのようにすっとぼけた発言をしているが知らないわけがない。


そして今回の団藤ノートで明らかになったのが元長官村上朝一の介入である。
岸上が岡原長官室で説得されている席で村上からの電話が入り、岸上に村上から大法廷回付を求める進言があったというのである。


団藤判事は岸上からこの経緯を聞いて「この種の介入は怪しからぬことだ」と憤慨した感想を記録している。


訴訟とは無関係のOB長官が外部の干渉をすることは司法の独立を危うくすることでとんでもない話だ。
このような事実を暴露されることが不都合という理由はどういう理由か説明してもらいたい。


しかし、第1小法廷はこの介入を突っぱねることが出来たのに団藤判事を除いて大法廷回付に態度を変えたのは如何に人権や権力分立の考えが血肉になっていないかの証左と言えるのは悲しい。


最後にこの訴訟では航空行政という広義な言葉を使って国の広い裁量権を前提に、その行政により苦しむ国民を救済するために裁判所は機能すべきであった。
行政が国会の立法により統制ないしは推進される中で、多数決の結果である立法・行政により人権を蹂躙されている場合、裁判所は本来人権救済機関の役割が期待される。


もちろん現実的にはその後国との和解で制限的な差し止めは継続されることになるが実際はこの判決が基準となって同種の訴訟は抑え込まれていくことになる。


番組のタイトル「誰のための司法か」は正に本来人権が蹂躙されている少数者を救済するために存在するのではないかと思う。


今回このノートを公表した龍谷大(団藤氏の死後膨大な資料が寄贈されたそうだ)の英断を評価したい(ちょっと遅い気もするが)。
今後も研究成果が貴重な記録発掘につながることを期待します。